映画妖怪ウォッチ シャドウサイド 鬼王の復活は承認欲求とインナーチャイルドが実は裏テーマにあると言う話

   

 

こんにちは。

 

うちだ広大です。

 

12月16日に公開された「映画妖怪ウォッチ シャドウサイド 鬼王の復活」を観てきました。

 

興行ランキングは2週連続で2位となっているが、前年比の66%ほどになっているようです。

 

私が観に行った日は冬休みシーズンながらもガラガラで、以前の盛り上がりがなくなってきているように感じます。

 

毎年見ている妖怪ウォッチの映画シリーズ。

 

大人でも楽しめる、裏テーマを観るのが好きで、結構考えさせられる映画となっています。

 

今回の物語は30年後の世界で、アニメの主人公たちは一切出てきません。

 

また、ジバニャンやコマさん、ウィスパーなどもアニメとは全く違った妖怪度が増したスタイルになっています。

 

アニメを見ていた子供たちはこの部分は物凄く違和感を感じるのではないだろうか?と思います。

 

物語のあらすじは、

”かつて、妖怪を操る不思議な“腕輪(ウォッチ)”を持った少年がいた。

ところが、少年が大人になったとき、彼には妖怪の姿が見えなくなってしまった。

役目を終えた、その“腕輪(ウォッチ)”は時空の彼方に葬り去られた――

…30年後。

穏やかな日常は終わりを告げ、迫りくる彗星とともに運命の日が始まる。

恐るべき妖怪ウィルス『鬼まろ』が、人の悪意に感染して無限に増殖していく…

人類滅亡の危機を救えるのは、妖怪ウォッチに選ばれし者。

新たな妖怪ウォッチを手にし、人間と妖怪の絆を取り戻せるのか!?”(アニメハックより引用

 

といった物語です。

 

妖怪ウォッチは毎回映画の裏テーマがあるようでそれを勝手に分析するのが好きです。

 

今回の物語を、通常の映画の解説ではなく、私が感じた裏テーマからの解説をしたいと思います。

 

実際に観て感じた感想は、今の世の中の心理描写が隠れていて、実は物凄くメッセージ性のある映画ではないかと感じました。

 

共依存傾向と回避依存傾向の主役たちになっているように感じる。

 

最初に出てくるもう一人の主人公少年「トウマ」は、幼少期から両親の仕事が忙しく、誕生日も一人で過ごし、自分は誰からも愛されない人間なんだと思って心に蓋をし、人との関わりを拒絶する毎日を送っています。

 

「誰も自分を認めてくれない」という承認欲求がそこにあり、「自分はいらない人間なのではないか?」そんな深い悲しみを抱きながら。

 

そんなトウマに妖怪ウィルス鬼まろは心の闇の深さに注目し、寄生します。

そして、鬼眼ギアを与えられ、同じように闇を持っている人たちを集めていき、鬼王の復活を目論見ます。

 

その時のトウマは、闇の力で操る人間たちを自分の言うことを聞いてくれる=自分は必要とされていると勘違いしていきます。

 

そこに、自分の居場所を感じてしまうのです。

 

一方、この物語の主人公「天野ナツメ」はケータの娘であり、投稿途中に、溺れた子供を、身を投げ出し泳いで助けにいきます。

 

困っている人は必ず救いたい。

 

そんな心を持った少女は、伝説の妖怪ウォッチ エルダに認められます。

 

もう一人の主人公、「アキノリ」はまぁ割愛します。

 

このように、誰にも認められないと心に蓋をしてしまった少年トウマは回避傾向にあり、ナツメは助けた

 

いという心が強い共依存傾向を持っているというように感じます。

 

そして、この二人の心の持ち方が物語に大きく影響していきます。

 

「エンマ」のライバル「カイラ」も承認欲求からエンマを憎んでいた。

 

妖魔界の王エンマは、ライバルであるカイラによって幽閉され、大王の座をカイラに奪われてしまいます。

 

ぬらりの助けによって脱出したエンマは復活する鬼王を倒せる伝説の剣「フドウ雷鳴剣」を探しにいきます。

 

そこで、追いかけてきたカイラと対峙します。

 

カイラは「お前さえいなければ自分は認められるのに」妖怪と人間のハーフであるカイラは幼少期から誰にも自分の力を認められないという闇を抱えていました。

 

エンマはそこに気づいていたため、お前は王になれないといいます。

 

対決するが、カイラはエンマに破れます。

 

トドメを願うカイラに、エンマは強くなったなぁとカイラの力を認めるのです。

 

そこで、カイラは気づきます。

 

そして、二人協力してフドウ雷鳴剣を手に入れ、鬼王を倒すという意識の統一に向かいます。

 

このように随所に、「認められたい」というストーリーが挟まれています。

 

トウマは心の闇から解放される時に本当の周りの想いに気づくことができた。

 

鬼眼ギアに侵食され、それを外すためには心の中の闇をなくさないといけないという。

 

そこで、今回のスペシャルゲスト「ゲゲゲの鬼太郎」に助けてもらい、ナツメがトーマの心の中に入っていきます。

 

そこでは、一人ケーキの前で泣いているトウマ。

 

そこにナツメは語りかけます。

 

あなたは本当は一人じゃないんだよ。

 

するとトウマはお姉ちゃんに自分のことなんてわかるわけがないと言われます。

 

その時にピンポーンとインターホンが鳴ります。

 

いつもこの時、この時間になるんだ、郵便屋さんだから出ないというトウマにナツメは違うよ、出て観てと促します。

 

そこには、プレゼントを持った幼少期のナツメたちがいました。

 

そう。

 

本当は、トウマは一人ではなかったのです。

 

それをどうせ自分は一人だと決めつけていたのです。

 

「自分は一人じゃなかった?」と記憶の中で気づき始めるトウマに、ナツメは両親も本当はトウマのことをちゃんと考えているよと伝えます。

 

逃げないでちゃんと観てと。

 

両親も帰れない理由がある。

 

両親の記憶の真実は、難病で救える命がある研究をしている。

 

お母さん、お父さんは、大切な研究をしていて、ちゃんと愛してくれていた。

 

孤独だったと感じていた理由は、トウマの思い違いだったのです。

 

 

過去の記憶を書き換えたトウマは、鬼眼ギアを外すことに成功します。

 

ここの部分は感動的でもあったのですが、インナーチャイルドを癒すセラピーに通じることでもあるのではないかと感じました。

 

ナツメが導き、トウマが過去の自分と対話していき、真実に気づいていく。

 

そのように見えました。

 

この物語、誰しもがある「認められたい」という承認欲求と、心に寂しさや見捨てられ不安を抱えながら人との関わり避けるて生きづらさを抱える現代の人に非常に多いインナーチャイルドや「愛情」もテーマになっているのではないかと感じました。

 

受け取り方で感じ方の全ては変わります。

 

誰かが発する言葉や、今感じること全ては、受け取り方で自分の感じ方は変わります。

 

例えば、毎日スマホばかり見ている人がいたとして、世の女性は全然私の話を聞いてくれない、わかってくれないと感じる人も多いかもしれません。

 

そこでイライラする人も多いです。

 

しかし、本当はどうなのでしょうか?

 

本当は愛されているのではないですか?

 

「自分の思い通りにしたい」

 

こんな思いが感じ方、受け取り方を変えてしまうのかなぁと思います。

 

私をわかってよ!とぶつけていくのは、相手のことを先にわかろうとせずに行うただの主観です。

 

相手に信用、信頼を得られたいのなら、まずは自分が先に相手を理解することが必要ではないかな思います。

 

このようなことを感じた今回の映画。

 

私は非常に興味深く観ることができました。

 

最後に子供にこの映画で伝えたかったことはなんだと思う?と質問すると「本当はちゃんと愛されていたんだね」と答えていました。

 

子供達に質問してみました。

 

すると、「お父さん、お母さんはちゃんとトウマを好きだったんだよね。」

 

と回答していました。

 

この言葉を聞けて、私の想いは子供にちゃんと届いているんだなぁと嬉しくなってこそっと泣きました笑

 

月に数回しか会えない子供達にちゃんと私の想いは伝わっていた。

 

そう感じることができました。

 

このようなことが体験できる良い映画だと思います。

 


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